講師紹介

姜依秋  (きょう・いしゅう)

1987年、留学のため日本へ。

偶然の出会いから鈴乃屋着物学院で学び始め、卒業後は着付師、講師として活躍。

2006年10月、上海に帰国。翌年6月、学院の上海校を開く。

以降、2010年1月時点で生徒数は100人を超え、同時に結婚式をはじめとする各種着付、着物文化の紹介などで中国全土を駆け巡り、着物を通じた日中交流に忙しい日々を送っている。

 

着物との出会いについて。

着物への憧れは小さい頃から持っていました。1987年に日本に留学したとき、日本で着物が見られると期待していたのですが、実際は街中で着物を着ている人はほとんどいませんでした(笑)。初めて見たのは、七五三の日。着物を着た子供を見て、感動したのを今でも覚えています。日本と言えば富士山、桜、着物というイメージがあるのですが、前者2つは自分から見に行くことができます。でも着物は、着ている人がいなければ見られないんですよね。


着付けを学ぶことになったきっかけ。

自分も着物を着てみたいと思い、あるお正月、着付けをしてもらいに鈴乃屋の扉を叩いたのが始まりです。ところが、予約をしていなかった私は受付で断られてしまったんです。日本ならどこでもすぐに着付けをしてもらえると思っていた私は、そうでないことを知ってショックでした。そのとき、私がよほど落ち込んだ顔をしていたんでしょうね。着付け師の方が気を利かせてくれ、本当に手早く、10分で私に着物を着せてくださったんです。それがもう嬉しくて。その場で「鈴乃屋きもの学院」への入学手続きをしました。周りの人たちは驚いて「もう少し良く考えたら?」と言いましたが、決心は固かったですね。

学ぶにあたって、実技はともかく、専門用語をたくさん覚えなければならない講義は、言葉のハンデがありました。でも、人の何倍も時間をかけて繰り返し勉強することでカバーしました。講師と着付け師の資格を得てからは、外国人ということで「本当に任せて大丈夫か」という目で見られることもありましたが、むしろそれをバネに走ってきたという感じです。礼儀作法や言葉の使い方にも気を配りました。そのうち、ありがたいことに、着付け師として指名をいただくことも増えてきました。


上海で着付け教室を開いた経緯。

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▲教室はいつも和やかなムード。

娘の成人式に自分の手で晴れ着を着せて、ひと段落ついた頃、着物に関する何か新しいことをしたいと考え始めました。故郷である上海には数万人の日本人がいますが、その方たちの結婚式、成人式、七五三、パーティーなどで着付けのお手伝ができたらいいなと思い、2006年10月に帰国しました。帰国当初は、知り合いの紹介で日本人の奥様方に中国語を教えていたのですが、彼女たちから着付けを広めていけるのではないかという考えから、2007年6月に浦東で着物教室を開きました。その後、もっとたくさんの方が来られるように古北付近で教室を開いてほしいという要望が多くなってきたので、2007年10月に仙霞路に教室を移しました(注:現在の教室は水城路)。鈴乃屋で講師の資格を得たあと、悩んだ末に看板を出す資格まで取得したのですが、こういう形で役立つとは当時は思ってなかったですね。

 


着物の魅力とは?

 

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▲帯の結び方にも、姜さん独自のセンスが光る。

和服には帯があるので、無意識に姿勢が良くなります。また、たもとに気を配りながら動くと、しぐさも柔らかくなります。日本には「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉がありますが、着物を着ていると、自然とそういう美しい女性になれるんですね。また、私にとって着物は自分を表現するものでもあります。小物の組み合わせで、オリジナリティが出るよう、いつも研究しています。東京の呉服屋さんにもよく行きますが、京都には個性的な小物が多くあるので、毎年足を運んでいます。


今後の夢。

私が実現したい大きな夢は、2010年の上海万博で日本の役に立つことです。日本パビリオンの出展内容に着物の紹介があるかどうかわかりませんが、もしなければ寂しいことです。せめて、着物姿のスタッフを置くなど、何らかの形で外国人に着物を見せてあげてほしいと思っています。私が日本で最初に感じたように、富士山や桜は写真でも見せられますが、着物は着る人のしぐさも含めて日本の文化ですから。私1人の力ではありますが、日本文化を守るために協力できればと思っています。

このインタビュー記事は、『ウェネバー上海』による提供です。2008年1月号 BizウーマンInterview。

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